4月15日葛城山登山

4月1日の大雪が嘘のように暖かくなりました。

春と言えば葛城山のツツジなので、様子を見に登ってきました。

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やっぱりGW頃でしょうかね。

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それにしても、この日は抜けるような青空でした。

白樺食堂のデッキは、暑くもなく寒くもなく、気持のよい登山日より。

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葛城山山頂。

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振り向けば金剛山。

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金剛山の一の鳥居の急坂を登りきった所から仁王杉にかけての道は、木々が少ないので肉眼でも良く見えます。

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上記の場所から葛城山はこう見えます。それぞれの山から見た写真を見比べると面白いですね。

写真は4月2日撮影したものです。

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パラグライダーがテイクオフする場所は、さすが障害物がなく展望が良いです。

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葛城山は金剛山よりも周囲の展望が良いので、昼間の景色もいいですが、夜景も素晴らしいので、葛城高原ロッジに宿泊して自分の目で観賞されることをお進めしますよ。

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昔の書物を読む -郷土史の研究- (葛城山)

大正十五年六月一五日発行 南河内郡東部教育會編「郷土史の研究」に 白木村(現在の大阪府南河内郡河南町)の項目があり、その中で葛城山の記述ありました。

郷土史の研究 南河内郡東部教育会 編 大正15_01

郷土史の研究 南河内郡東部教育会 編 大正15_02

この章では葛城山についての他に、二上山までの間にある各峠の説明や、金剛山と葛城山との間に橋を架けようとした物語も記されています。

なを、本に書かれている漢字で入力するようにしていますが、文字が擦れたりして判別しにくいのもあるため、間違っていたら指摘して頂けると助かります。

葛城山
大和と河内との境上に南北にるい延々たる一帯の山脈、北は山田村竹内峠より南は金剛山を超えて千早峠に至るまでの總稱なるが、現今にては金剛山と區別して、水越峠より北竹内峠に至る間の山塊を葛城山と總す。
土地臺帳面積九十六町歩なるも實測一千二百町歩以上ありと言ふ。
其の高峰は九五九米突餘金剛山頂より約五十米突許り低し。
登り道は河内、持尾、平石よりあれどもいづれも險峻なり。
山中に古くより葛城の岩橋を始め、胎内竇、鉾立石、鍋釜石等の名蹟多し。
久米の架橋
今河内名所區曾の本文を借りて記せば『石川郡平石村の上方にあり、平石より阪道を東に取る事十八町にして葛城の山上少し東の方にあり。
其の石橋の形を見れば巨巌にして面に鐡板の段ある事四つ兩端稍隆うして欄檻に似たり。
幅三尺餘長さ八尺許り、西南の方些し缺けたり。
形勢將に南峰に逮ばんと欲す。
實に人力の到る所にあらず。
傅へ言ふ、昔役の行者優婆塞『小角』葛城の峰より金御獄へ通ひ粭くはんとて石橋をかけなんとす。
これを諸の神に明治給ふ。
葛城の一言主神は容貌いと醜くければ、晝の役をはばかりて夜をまち給ひしより橋を渡し得給はず、行者怒して一言神を呪縛して深谷に押籠置き給へり。
よつて、橋半途にして止みたり。
現今に至るも極めて丈夫なる橋臺を存す。
惟ふにこれは役の行者平石の香花寺を建て、其勢に乗じ葛城附近にて不可思議なる妙計を企てしも、中途にして止みたるならんか。
俗説には此の架け橋を元山上と言ふ。
石不動 架け橋の上方五間許りにあり奇石なり。
鉾立石 高さ二𠀋許り。其形を以て名とす架橋より山下四町にあり。

郷土史の研究 南河内郡東部教育会 編 大正15_03

 

鍋釜石 二つともに形を似て名とせり。これも架橋より西方五町に在り。
胎内潜 葛城山林内平石共有地九百二十七番にありて面積役十坪、高さ二間半、長さ四間餘の巨巌左右より頭を傾け、其間凡そ二尺を隔てゝ南北に併立し、其の狭間をくぐるに大小の差別なく、肩先の廣狭同一の感あること奇妙なり。
磐舟 大字平石哮が峰の山頂にあり。形狀舟の如き巌石なり。
古來葛城山に關する詩歌に (中略)
横尾瀧 一名紅葉の瀧四時水涸れず。𠀋余の清水直下す。昔其邊に瀧姫明神の小祠ありしが、今は磐船大神社に合祀せらる。
氏神例祭の宵宮祭に持尾氏子参拝の節、瀧の方面に向ひて蝋燭を以て献燈するを例とす。
然るに其の献燈は不思議にも如何なる暴風雨にあふもきえずと傅ふ。

郷土史の研究 南河内郡東部教育会 編 大正15_04

 

 

 

昔の書物を読む -大和名勝-

金剛山の関する情報は金剛山登山道情報を始めとして、様々な方々のブログで知ることができます。

季節の移ろいや、植物の開花情報に登山道上の危険情報など、今では出かける前にある程度の情報を知った上で金剛登山ができるので、ありがたい世の中になったものです。

そうなると今度は、昔の金剛山や葛城山・二上山の様子は現在と比べてどうだったのか、とても興味がわいてきます。

そこでネットで昔の金剛山の様子を検索して調べていると、昔の書物がPDFで公開されていましたので、ダウンロードして読み耽っています。

ダウンロードした書物の一つに、明治三十六年四月三十日に金港堂書籍株式會社から発行された「大和名勝」という書物があります。

これは表題のとおり奈良県の名勝を紹介した本ですが、その中から二上山、葛城山、金剛山について抜き出して紹介しましょう。

大和名勝001_01

明治三十六年時点の現在の奈良県の地図。

これを見ると、現在のJR線はこの頃にはすでに開通していたようですが、近鉄南大阪線、吉野線、御所線はまだ未開通なことが分かります。

また、金剛山山頂付近の県境を表す線は正確に描かれていないな、などと突っ込みを入れながら見てしまいます。

ともかく、古い地図は現在との違いを見比べるのは楽しいですね。

大和名勝002_01

大和國略圖

郷土史を読むとき、こういう略図があると位置関係が分かりやすくて助かります。

大和名勝010_01

二上山は現在、高い方の山を雄岳、低い方の山を雌岳と表記していますが、明治36年当時は男嶽女嶽と表記していたようですね。

この表記だと、実際は優美な姿の山なのに厳つい山の印象に感じますね。

二上山の説明の中に「南に瀑布(ばくふ)あり」と書かれていますが、この瀑布とは何ぞや思いネットで検索すると、「高い所から白い布を垂らしたように、直下する水の流れ。滝。飛泉。」とありますが、二上山の南にこんな所があったかな?

ひょっとして雌岳山頂から南東にある祐泉寺の側を流れる小川の流れは、当時(明治36年)はもっと水量が多かったのかな?という想像をしていますが、はたしてどうなんでしょうか。

では、以下に本文を転記します。

書物に書かれているとおりの文字を入力していますが、旧字のため間違いがあればご容赦ください。

 

二上山
二上山(ふたかみやま)は當麻村の西北に在りて河内國に跨(またが)れり。 二上とは二峯(ふたみね)なるが故なり。男嶽女嶽(おとこだけ おんなだけ)といふ。 恰(あたか)も常陸の筑波山のごとし。 北に小峯(こみね)あり銀峯(ぎんぼう)といふ。 南に瀑布(ばくふ)あり。 一𠀋餘(ぢようよ)なり。 山頂に二上神社あり。 今權現(いまごんげん)と稱(しょう)す。

□ ぬば玉の夜は明けぬらし玉くしげ 二上山に月かたふきぬ。
家(やか)持(もち)

大和名勝048_01

次は葛城山ですが、文字数も少なくあっさりしたものです。

葛城山
葛城山は南北葛城兩郡(なんぼくかつらぎりやうぐん)に連なり、嶺の西方は河内に隷(およ)ぶ。 嶺多く谿(たに)深し。 第一峯を高天山といふ。 高さ三百𠀋。

萬葉
青柳のかつらぎ山に立つきりの 立ても居ても妹をしぞおもふ
人(ひと)麿(まろ)

後撰
玉かつら葛城山の紅葉(もみぢば)は 面かげにのみ見えわたるかな
貫(つら)之(ゆき)

大和名勝051_01

金剛山はなぜか金剛山寺という表記になっています。

葛城山と同様に文字数も少なくあっさりしたものですが、本文の多くは「大和志」からの引用のようで、この大和志の中に現在の葛城神社や転法輪寺の様子が書かれています。

ここで「葛城の社は山のいと高き頂上に在て、大和國なり」とありますが、葛城の社とは現在の葛城神社ことと思いますが、ここは奈良県御所市に属していますので、この表記が間違っていいたため、上記の地図に描かれている県境の線も間違って書かれていたのかもしれません。

しかし、なぜ金剛山寺と表記したのかは謎です。

金剛山寺
金剛山寺は、葛城山の頂に在り。

一名は高天寺(かうてんじ)、正堂(しゃうどう)一宇、少祠(せうし)二宇大和に属し、餘(よ)は皆河内に隷(れい)す。

東北は則朝原寺東南(すなはちあさはらてらとうなん)は則石寺舊名猪石岡(すなはちいしでらきうめいるいはのをか)といふ。
大和志
按(あんずる)に貝原益軒南遊紀行(かいばらにきけんなんいうきかう)に云う、葛城山は大峯の外畿内(ほかきない)にも近國にも是程の高山(かうざん)は見えず。
絶頂(ぜつちゃう)に葛城の神社あり、大社(たいしゃ)なり、一言主の神(かみ)といふ、役行者堂あり、山上より二町西に下れば、河内國金剛山轉法輪寺(かわちのくに こんがうざん てんはふりんじ)あり、役小角(にんのせうかく)の開基なり、是山伏の嶺入して修法(しふはふ)する所なり、憎寺六坊あり、皆家作美大(みなかさくびだい)なり、大和河内の農民此神(のうみん このかみ)を甚奠崇(はなはだぞんしう)し、社の下の土をすこしばかり取てかへり、我田地に入れば、稲よく實(みのり)て虫くはずとて、参詣(さんけい)の人夥(ひとおびただ)し皆宿坊ありて宿(しゅく)するもの多し、檀那(だんな)にあらざれば、宿をかさず、葛城の社は山のいと高き頂上に在て、大和國なり、金剛寺の寺院は西の方の少(ち)ひさき所に在(あつ)て、河内國なり。
葛城の本社のすこし西に石不動を立たり、是大和河内の境なり、葛城の北にある大山をかいなが嶽といふ、河内にては是を篠峯(しのみね)と號(がう)す、篠峯を葛城山といふはあやまりなり、葛城は金剛山の峯なり、高間山あり云〻(うんうん)かいなが嶽は即ち戒那山(かいなざん)にて葛城山の中腹なり。
水越嶺とはこの間に在りて、大和河内の往來(おうらい)なり、楠正成はこ〻より吉野殿へゆきたりと云ふ。

大和名勝052_01大和名勝103_01

葛城山山頂から見る日の出

明日の早朝の夜景撮影に備えて、午後9時過ぎに夜景撮影を終えてテントに戻った。

しかし、普段ならこんな時間に就寝することはないのと、先程までの夜景の美しさに興奮してか、全然眠くならない。

眠そうになった頃、頭上では飛来してくる飛行機のエンジン音が下界よりも大きく聞こえて目が覚める

考えてみたら、「下界よりも約950m飛行機に近いから当然だな」などと考えているから全然眠くならない。

そうこうしているうちにいつの間にか眠り、午前3時半頃に起床する。

辺りはまだ真っ暗だ。

でも、夜の時間が短いこの時期なので早々に朝食のカップラーメンを作って食べるが、食べ終わる頃にはテントの外はうっすらと白み始めてきた。

午前4時15分頃、早朝の葛城山で撮影を開始する。

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午前4時17分

濃紺の空には三日月が輝き、東の稜線の上空はオレンジ色に染まり始めている。

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葛城山は東西南北に開けているのでどの方角も楽しめますが、東側の斜面が切り立っている関係で、奈良の街並みが際立って美しく見えます。

午前4時23分

撮影開始から僅か6分で空はどんどん明るくなってきた。

それに伴い街の光が消されていくようだ。

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視線を北に向ける。

光と闇の境目がどんどんと西へ移動していく。

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北の方向を見ると、こちらはまた夜の世界といった感じ。

同じ場所に立っているのに、視線の方向を変えるだけで、シャッタースピートを数秒遅く調整しなければならない。

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また視線を東の空に戻すと、オレンジ色の光が明るさを増している。

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南の方を見ると、濃紺の空に金剛山の稜線が美しいラインを描いている。

同じ時間でも、見る方向を変わると、これほど明るさに違いがあるんですね。

こういう楽しみ方が出来るのが、山頂が開けている葛城山の特徴です。

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いよいよ東の空が明るくなり、太陽が間もなく顔を出すだろう。

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思わず、 キタ━(゚∀゚)━!! と言う感じ。

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地球の自転速度が感じられるほど、ぐんぐん太陽が昇って行く。

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太陽が完全に顔を出した。

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なんとも美しい光景です。

夜景撮影は何度もしていますが、朝日を見るのは数えるほどなので、この日の朝日は心に沁み入ります。

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太陽の高度少し上がっただけでもう直視は出来ないほど輝きを増して、大和の街を照らしています。

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午前5時13分。

白樺食堂の入り口から丁度朝日が見えます。

ということは、葛城高原ロッジの東側の部屋に宿泊すると、毎朝、朝日で真っ赤に染まるのでしょうね。

なんとも贅沢な目覚めでしょう。

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朝日の撮影も終わり、テントを片付けて下山します。

午前6時7分。下山途中の東のテイクオフに立ち寄り、この日最後の撮影。

すっかり眩しい太陽。

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昨日の登りは夕日に照らされた登山道でしたが、今朝の下山は朝日に照らされた登山道でした。

夕暮れの登山は、いくらライトの装備があるとはいっても、なんとなく寂しさを感じますが、朝日を浴びながらの登山は、反対に元気が湧き出るような気がするのが不思議です。

おまけ

元旦に御来光を拝むには、金剛山よりも葛城山の方が圧倒的に有利です。

山頂が広いので、朝早くから場所取りをする必要が要りません。

また、太陽が大和の街を照らしてゆく様子は、葛城山でしか味わえないでしょう。

葛城山山頂から見える夜景

ゴールデンウィークも残り二日となり、怠け心を奮い立たせて水越峠に車を走らせた。

昼間の長い季節とはいっても午後6時近くとなると駐車場は一台も車がなかったが、峠の頂上付近にはまた数台車が残っていて、金剛山からまだ下山途中の人がいるようだ。

日差しに赤みが増してきた午後6時8分に登山開始。

葛城山へダイトレルートで登ると荷物の軽い日帰りでもしんどいのに、今回はテン泊道具を背負っているのでなを辛い。

所々に差し込む夕日が登山道を赤く染めて、夕暮れ独特の美しい眺めが広がっているが、そんな風景を楽しむ余裕もなく、一人気合いを入れながら急坂を登って行く。

行程の3/4ぐらいに差し掛かったあたりだろうか、上から初老の男性が一人下山してきた。

この時点で午後6時55分。

男性はライトを所持しているとのことだったが、こんな時間に下山してくる人と出会うとは思わなかった。

もっとも、その男性にしてもこんな時間に登って来る人がいるとは思わなかっただろう。

お互い「気をつけて」と挨拶をしてそれぞれの行程に戻った。

午後7時を過ぎ、周囲はまだ明るさを残しているのでライトを点灯させても微妙に見え辛い。

木の根に足をひっかけないように注意しながら登り、午後7時17分、東のテイクオフというパラグライダーやハンググライダーが飛び立つ場所に到着。

この場所からの夜景を撮影したくて、昼間に登っていたのが2012/01/10

思った通りの素晴らしい眺めが目の前に広がっている。

重い荷物を背負って登ってきた甲斐があった。

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視線を右にやると、309号線と24号線が交わる室の交差点が見える。

309号線の光の帯が奥に続いているのは、吉野、十津川方面からの帰宅だろう。

よく見ると、あちこちの道路は車のライトが連なり、一本の光の筋となっている。

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東のテイクオフでの撮影を終え、ツツジ園を登ると、やっと葛城山山頂に到着。

西の空の残照もあと僅かとなって、辺りはすっかり暗くなっている。

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湧出岳にある展望塔の光が一際輝いている。

あの場所から夜景撮影をしたいと思い、金剛山展望塔保存会の御所市に問い合わせをしたら、当然のように断られたことがあったな・・・

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ゴールデンウィーク期間なので、宿泊客が大勢いるのだろうか?

食堂で食事をしている人は、こんな時間に登って来た人を見てびっくりしているだろうな。

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今で早朝登山で来たときは真っ暗だったのに、ロッジに宿泊客がいるときは街灯が灯されるようだ。

おかげで、この道はヘッドライトがなくても歩けるほど明るい。

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トイレ前。

照明が点灯しない状態を知っていると、まるで別世界。

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白樺食堂前

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まっすぐ進むとロープウェイ山上駅

キャンプ場はこの道を左に進んだ所にある。

このとき午後8時頃。

まさか先客が4組もいるとは思わなかった。

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テントの設営も終わり、本格的に葛城山山頂の夜景撮影を始める。

まずはおなじみの、葛城山山頂前。

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上の場所から金剛山を見る。

葛城山山頂は木々がなく開けているので、大阪や奈良の街の灯りが降り注ぎ、ライトがなくても行動できるほど明るい。

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葛城高原ロッジの向こうに見える夜景は、かもきみの湯がある辺りだろう。

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左に視線を移動すると、美しい奈良の夜景が広がっている。

画面中央にある畝傍山のシルエットが良く分かる。

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白樺食堂の方を見る。

遊歩道の街灯が点灯しているので、とても明るい。

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大気汚染監視のサイトでは、この日はPM2.5の濃度がやや多いということだったので、展望はあまり期待していたなかったが、思った以上に輝く街が見れた。

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左に画面を移動していく。

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北北東を向く。

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ほぼ北を向く

右は奈良県で左は大阪府

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左日視線を移す。

奈良とは圧倒的に光の量が違う。

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大阪市中心部から大阪湾対岸の神戸まで見える。

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大阪南部の町並みと関西空港まで一望できる。

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淡路島と、明石海峡大橋の夜景が見れなかったのは残念。

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望遠にしてみる。

南海高野線の三日市町駅だろうか。

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こちらにあるS字状の道路は、南阪奈道路。

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こちらは奈良県の、大和高田バイパスと橿原バイパスの交差点付近。

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いつまでも夜景を眺めていたいものだけど、明日は夜明け前の撮影があるので、ここで撮影を中止してテントに戻る。

つづく

葛城山への登山ルート

この冬一番の寒波襲来で葛城山にも沢山降雪があったようですが、そのおかげで葛城山の登山道が金剛山から肉眼ではっきりと確認することが出来ました。

葛城山荘から下に伸びるラインや右のラインはつつじ園の遊歩道で、画面一番右側がダイヤモンドトレールの階段道でしょう。

葛城山山頂から下に伸びるラインが見えますが、これは国道309号線の新道と旧道の分岐する所へ至る天狗谷ルートなのでしょうか?

葛城山荘から少し東に目を移すと、ダイヤモンドトレールの道筋がはっきりと見えます。

※写真よりも肉眼の方が良く見えました。

水越峠から葛城山へダイヤモンドトレールを登るのはかなりしんどいですが、これを見ると山の斜面を一直線に登っていることが分かります。

ここで気になるラインが見えます。

「?」で記した白いラインは道のように見えますが、ダイヤモンドトレールからこんな道が分岐していたのでしょうか?

ネットで探してもそれらしい登山道はありませんので、謎の道が見えていることになります。

このようなラインは自然に出来たものではなさそうですが、はたして本当に人が通れる道なのでしょうかね・・・

金剛山・葛城山W登山

朝から濃霧に包れた自宅周辺も、登山へ出発する午前10時頃にはなくなっていた。

自宅周辺は霧が晴れたが、山麓にはまだ霧か靄が残っているように見えたので、プチ雲海が見れたらいいなぐらいの気持ちで水越峠に車を走らせる。

水越峠まで来ると、やはり葛城山には雲がかかっているが、金剛山には雲がかかっていなかった。

金剛山と葛城山のどちらを先に登ろうか迷っていたが、晴れている金剛山で初めて登る”太尾東尾根ルート”に決定。

舗装された道路から登山道に入ってしばらくは植林帯の薄暗い感じが続くが、一旦尾根に出ると、太陽の光が差し込み明るい雰囲気の登山道に感じた。

満月の夜などは、光の闇のコントラストが美しいだろと思える登山道。

この雰囲気は文殊尾根に似ている。

途中、奈良県側の展望が少し開けたところがあり、午前10時45分頃でも奈良県側は霧が晴れずに雲海のように見えていた。

これならダイトレから登って、パノラマ台から雲海の様子を撮影した方が良かったかなと、少し後悔。

六道の辻。

この辺りから路面が凍結しているので、アイゼンを装着する。

大日岳の手前。

登山道に差し込んだ太陽の光が、雪に反射してとてもきれいだ。

奈良県側はまだ雲が低い。

金剛山山頂の売店横から少し登った所。

老夫婦についてきたこの犬。たしか年越し登山の時にも見たような気がする。

今年は少ない雪をかき集めて、これだけのカマクラを作っているんですね。

国見城址広場には、午前11時30分頃に到着。

今日は大勢の登山者で賑わっている。賑やかな広場は良いものだ。

あちこちのベンチから美味しそうな匂いが漂ってくる。

もっと早い時間に登っていれば、目の前に広がる雲海が見れただろうな。

売店前は大賑わい。

夜間登山をしていると、こういう賑わいが「いいな~」と感じます。

葛木神社。

葛木神社横のブナ林から葛城山を見ると、次々と雲が流れている。

今日は太尾西尾根ルートをピストンするつもりだったが、パノラマ台からの展望が気になったので、ダイトレに向かうことにした。

仁王杉。

家族連れが次々と登っている。

葛城山は曇っているが、こちら金剛山側はは太陽の光が差し込み明るい。

後ろが賑やかなのでカメラだけで後ろに向けて撮影。

子供達がソリをしてたんですか。楽しい思い出になったらいいね。

ダイトレの階段を下る。

パノラマ台が真っ白で、全然パノラマじゃない件。

奈良県側に広がる雲海が見れるかもと期待してたけれど、雲の中に入ってしまったなら仕方ないか・・・

今日は体力が残ってたら葛城山にも登る予定をしていたので、水越峠を越えて葛城山に登ってきた。

東のテイクオフ。

ここの眺めは最高です。

金剛山から見たときはすっぽりと雲に覆われていたのに、今は雲が晴れて展望がバッチリになっている。

つつじ園を登って振り向くと、雲海から頂きが顔を出していた。

現地で見ると、「ここはどこの高山ですか?」といった感じ。

少し視線を右にやると、さっきまで晴れていた金剛山が雲に覆われている。

私は上手く雲を避けて登山してたようです。

葛城山山頂は日当たりが良いので、雪が残っているのは西の斜面で影になるこの付近だけでした。

この後白樺食堂で遅めの昼食を頂き、再びダイトレから下山する。

登りに見たときは雲に覆われていた金剛山も、下山する頃には雲が切れて晴れ間が見られるようになっていた。

午前中は雲がかかっていた葛城山だが、私が通る時には雲が晴れて、日の差し込む明るい登山道だった。

周囲が闇でヘッドライトの明かりが頼りの登山をしていると、太陽の光が差し込む登山道は、良いな~、と心の底から思います。

今までは山頂まで一気に登ってからゆっくりしていましたが、一日中、山を歩くのも良いものだと感じた日でした。