水越峠 水紛争後の河内側について

京都奉行所に出訴された水争いをめぐる水越峠の国境画定紛争は、元禄14年(1701)に河内側が敗訴するという結果に終わったため、その後、金剛山山麓の河内側の水利は、井路・溜池・井戸など灌漑施設の整備を進め、水不足に対応してきた。

これについて【堀内義隆 大阪府東条川流域の灌漑水利の研究】から、河内側の水越川流域について見てみる。(引用して編集しています)

水越川流域は河川の侵食がすすみ、河岸低地と中央平野面とは、北部の南別井部落で約10m内外、中央部の神山部落附近で6~7mの急崖をなしている。このため中央平野面は台地をなし、これを河南台地と仮称する。この台地は砂礫が多く、水田の保水力は非常に悪く,反当用水量も低地部にくらべ1.5倍も要するといわれている。

東条川からの用水確保のため、引水堰は競って山麓地帯に設けられていて、山麓地方に集約された井堰より多数の長い引水路が台地面に設置されているが、用水は上流部から引水されるため、下流に向うに従って水量は減少し,漉末一帯は古くからの旱損場であった。

河川灌漑は山間部の青崩で約100%,山麓の中村部落で38%,中流の白木部落で41%,下流の石川村で34%,溜池灌漑は山地部では平均10%内外,中下流では24~36%となっている。

そのため中流域以下では用水不足のため溜池を併用しているが、夏季用水期間中の貯水は殊に困難で、ほとんど繰り返し利用は不可能な状況であった。

しかし、金剛山脈の西斜面一帯は6~9月の降雨量は740mm内外で、奈良盆地よりはるかに多量であるにもかかわらず、中下流一帯が用水の不足するのは、前述の水越川上流問題と、千早川筋においても、上流の東阪や上東阪部落附近で、堀越井路、花折井路が取水して反対斜面の佐備川流域に引水していることが大きい。このような流域変更は社会的歴史的要因によるもので,これが台地一帯の用水不足の根本原因である。

用水が不足する要因として、土地の保水力、河川水量の減少、流域変更が考えられるが、さらに【山極二郎 大阪府下の灌漑農業 上】ではこう述べられている。

雨量の少いと云ふ事も相對的の事で、之れ丈の水田を有する地方としては水不足であるの義で決して絶對量が少いものではない。

大阪平野の降水量は約千四百粍で最小は堺市附近の千三百粍弱で、山地に入れば千五六百と増してくるのみならず降水は重に植物の生育期にあるのであるから映して少いとは云へぬ、一般に瀬戸内地方は雨少しとの前提から直に當府も雨不足の地域に入れて結論をいそぐ事より此誤解が生じたのである。

即ち世界的に比較して見れば千粍が多少の境をつけるものと考へるから、之れを超ゆる事四百粍であるから多雨の地として見るべく西隊の多雨地と考へられてある倫敦巴里などに比べると約二倍以上の降水量である。

(中略)

故に府下の權漑農業は降水量から見て水不足とするも砂漠又は草地地方に行はれるものと全然異るものである事に注意しなければならぬ。第二の原因は諸川の流域が小で、即ち集水面積が小である爲に、其下流にある水田を充分にうるほす事の出來ないと云ふ事にある。

まとめ。

水越川上流域は大和側に属することになったために水越川の水量が減り、下流域の水不足に悩まされることになるが、降水量が絶対的に少ない地域ではないため、水不足の原因として、耕作面積の広がりが河川で用水を補える量を越えているため、水不足が発生するということと思われる。

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