白洲正子著 「かくれ里」 

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奥河内学会(勝手に発信中)

@oku_kawachi

で紹介していた、白洲正子著 「かくれ里」 。

そのなかから、「葛城のあたり」 を抜粋して紹介します。

1991年4月に第一刷発行の文庫本ですが、道行きの表現を読むと、頭に記憶された風景がよみがえるようです。

なを、文庫本を見ながら手入力しましたので、誤字脱字はご容赦下さい。

以下から本文。

一言主についで有名なのは、北の鴨都波、南の高鴨神社である。いずれも出雲系の神を祀っているが、京都の賀茂神社も、元はといえば葛城から遷座されたもので、神武天皇を案内した八咫鳥が祭神であるという。古代人は鳥と鴨の間に、あまり区別をつけなかったのであろうか。カモはカミに通じるから、一種のトーテムポールとして、神の使者が、化身の如く見られたに違いない。それらの神社が、すべて葛城川のほとり、もしくは支流の川上にあるのは、元は水分の農耕神であったことを語っている。

鴨津波神社は、国道二十四号線にあるので殺風景になってしまったが、高鴨神社には、神さびた雰囲気がある。ことに神社の下の池に、金剛山が影を落としている景色は美しく、万葉によまれた葛城処女を連想させる。その歌にある「高間の茅野」は、今は高天と書き、神社の後方、はるか高い峰の上にある「標ささましを」と、特に神に関係のある言葉を用いたのは、そこが禁断の聖地だったからで「高峰の花」の意もふくまれていたがもしれない。一説には、紫草の生えている標野(禁苑)であったともいわれている。

高鴨神社は、葛城の南のはずれにあり、もう紀州へ近い。いつもは「風の森」というバス停から山へ入るが、今日は横大道から高天に上り、そこから下へくだってみることにする。

高天はいうまでもなく、「高天の原」から出た名称で、大和にはそういう山が三十いくつも存在する、と聞いたことがある。必ずしもそれは事大主義というわけではなく、それぞれの土地に、神の住処である霊山を持っていたにちがいない。それらを総括して、一つの神話にまとめたのが、いわゆる高天の原の物語で、大和の中でも、古い歴史を持つ葛城の高天は、もしかするとその原型であったかもわからない。

一言主から旧道を南下すると、朝妻という集落がある。そこから右に折れて、急坂を登ると、海抜五、六百メートルほどの地点に、高天の村は見出された。車が通るようになったのも、つい最近のことで、まったく世間から隔絶された秘教である。高いわりに視界がまるできかないが、閉ざされた高原の中で、稲は葉や色づき、静まりかえった村のたたずまいは、今も神々が集っているような気配がする。

ここは、一言主や高鴨より、一そう神さびた社があり、杉の大木の奥に、ささやかな社殿が建ち、神体山を拝む形になっている。「灯明山」とも、「上ノ山」ともいうと、村の老人が教えてくれたが、上ノ山は神の山であろう。ほんとうの原生林とは、こういうものをいうのかと思うほど深く、神秘的な感じがあり、高天の原にはぴったりした神山のように思われた。

ここから先は、急に道が険しくなり、金剛山へは一番の近道であるという。頂上の社には、葛城氏の子孫で、葛木神社の唯一の氏子である葛城さんという宮司が、たった一人で住んでいられると聞くが、月の夜、雪のあしたなどは、さぞものすごい眺めであろう。が、最近は、葛城山にも、金剛山にも、ケーブルがつき、頂上はかえって賑やからという風評もある。

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